平和についていろいろ。
麻雀の和了役の中で最もベーシックな平和についていろいろ。
平和とは。
麻雀での平和(ピンフ・PingHe)とは、麻雀の和了役の中で最も基本的なもので、副底以外に一切符が付かない状態で和了した時に与えられる役です。
現行のルールでは、
- 翻牌でない雀頭
- 順子三組
- 両門待ち
で聴牌し、且つ栄和した場合に副底以外の符がない状態となり、平和が成立します。
但し、今日では関東を中心に、摸和でも摸和の際に付く二符をキャンセルして平和を成立させるルール(摸八平和)が一般的なようです。
尚、現在最も普及しているリーチ麻雀では、門前でない平和(喰い平和)は認められておりません。
ですが、関西式のブー麻雀やアルシァルでは今でも摸八平和を認めず、一方で喰い平和を認めております。
また、中部以西でも、リーチ麻雀では流石に喰い平和は認められなくなりましたが、今でも摸八平和は認められない方が多いようです。
摸八平和の起源。
ところで、摸八平和と言うのは、どのようにして成立したのでしょうか。
大正末期(西暦1920年前後)、麻雀は主に小説家たちの間で流行っていて、神奈川・鎌倉などでは作家たちが毎晩のように卓を囲んでいたそうです。
摸八平和は、当時鎌倉に集まって麻雀を打っていた小説家達によって考案されたものと言われております。
- 故に摸八平和は鎌倉ルールとも呼ばれておりました。
門前聴牌の場合に限り(当時は喰い平和も認められていた)、摸和の際に加算される二符をキャンセルして平和を成立させると言う、現行のそれと殆ど同じものでした。
当時のルールはまだアルシァルだったため場に翻数は付かず、従って門前で平和を摸和すると、二十符の両翻(四倍)から、散家が摸和した際に散家が払う点数は八十点となり、この事から摸八平和と呼ばれたそうです。
ちなみに、最も歴史ある麻雀団体である日本麻雀連盟は当時から存在しており、当時最も有名な文豪だった菊池寛が設立に関与しておりました。
そのような経緯にも拘らず、日本麻雀連盟では摸八平和は九十年近くもの間承認されずに今日に至っております。
制作者の個人的な見解。
制作者は、リーチ麻雀でも摸八平和はなしにする方が良いのではないかと思っております。
一翻役のために、符のルールを否定するのはどうかと思うからです。
今日の喰い平和の扱い。
今日、リーチ麻雀ではほぼ全国的に門前でない場合の平和(喰い平和)を認めておりません。
しかし、門前でない場合であっても、副底以外の符が全く付かない状況は幾らでも考えられます。
リーチ麻雀の場合、副底以外の符が一切ない門前でない手の和了では、二十符とせず三十符と見なしますが、これは平和にならないため、何らかの符が加わっているものと見なす事に依ります。
何か変な気がしますが、それなら、喰い平和の栄和は一律に十符加副とでもした方が、より明確になって良いのではないかと思います。
符のないルールでの平和の定義。
平成 5年(西暦1993年)頃、麻雀に符は必要かと言う議論が、某劇画誌で展開されました。
その時は、結局麻雀には符があった方が面白いと言う意見で纏まったようですが、そもそもこのような議論が起きたのは、当時ある雀荘経営者に依って符なし麻雀が提唱されたからです。
しかし、符なし麻雀を導入すると、符の有無を前提とした平和については定義を変更しなければなりません。
このため、符のない麻雀ルールでは符のあるルールで平和となる状況をそのまま定義とする事になります。
つまり、日本だったら、
- 翻牌でない雀頭
- 三組の順子
- 両門待ち
を門前で聴牌して和了するときに成立するものとするでしょう。
ちなみに台湾麻将での平胡(平和の台湾語表記)は、
- 花牌を一枚も抜いていない状態で、
- 数牌の雀頭(客風でも字牌はダメ)
- 四組の順子
- 両門待ち
を聴牌して栄和した時に成立すると言うものです。
花牌は四風牌の刻子に相当するので、かつては花牌を抜くと四符が加算されていたそうです。
その名残で、花牌を抜くと平和が消えてしまうのだそうです。
雀頭は客風でも字牌はダメと言うのは、やはり字牌なら何でも符になったのでしょう。
加えて、栄和でなければならないのは、摸和だと符がついたからです。
このように、結構難易度が高いため、台湾麻将での平胡は、二台役となっております。
尚、中国国際ルールでの平和は、かなり定義が簡略化され、和了した時の形が
- 数牌の雀頭(客風でも字牌はダメ)
- 四組の順子
となるだけで(嵌張や単騎などでも良い)成立します(二点役)。