七対子の点数について。
七対子の点数について、歴史を交えて解説します。
現在の七対子の取扱い。
現在の七対子の正しい扱いは、
- 七対子の両翻を含めた100点を基礎点として計算する
と言うものです。
しかし、そうすると符と翻数の関係が分かり難いので、便宜上
- 符を25符として計算する
と言う扱いにするのが一般的のようです。
七対子の歴史。
創世記の頃の扱い。
日本での七対子は終戦直後の混乱の中、米国人に依って導入されたものと言われております。
- 中国でもローカルルールとして七対子の形を認めているところもあったそうですが、日本の七対子は中国ローカルルールの影響ではなかったようです。
当時はまだ一翻縛りも場の両ゾロもなかった頃でした。
和了役もアルシァルのルールに毛が生えた程度で、満貫役と清一色以外は全て一翻役と言うのが一般的だったようです。
その頃の七対子の扱いは以下のようなものでした。
例えば、散家が七対子で和了した場合、当時は場の両ゾロがなかったので、
- 100点×四人=400点
となりました。
仮令、幺九牌を一枚も含んでいなくても断幺九は付かず、字牌だけで作っても字一色にはなりませんでした。
その後の扱いの変化。
その後、一翻縛りや場の両ゾロが定着していくうちに、従来の扱いではそぐわなくなって来ました。
点数計算の扱い。
その結果、七対子は両翻役として扱うと言うのが一般的になりました。
それでも、点数計算については従来の考えを踏襲したもの、すなわち役としての分を含めて100点で計算すると言う考えが一般的だったため、色々と矛盾が生じる事となりました。
多くの場合、符は下一桁が零となると言う事からか、50符一翻で計算すると言うのが最も多かったようです。
その後、両翻役なのに一翻で計算するのはおかしいと言う事からか、25符両翻で計算すると言う考え方が定着するようになって現在に至っております。
七対子に伴う役の扱い。
また、かつての七対子に他の役は一切含めないと言う扱いは、七対子が一般的になるにつれて次第に忘れられ、門子型に適用される和了役は七対子でも有効と言う現在の扱いになって行きました。
ただ、昭和50年代くらいまでか、一部の団体では、
-
門子型の場合、清一色や混一色は門前だとプラス一翻になるが、七対子は門前以外あり得ないのだから、わざわざプラス一翻にする必要はない
- 解説:現在では清一色や混一色は喰い下がり役と言う扱いが一般的ですが、かつては門前だとプラス一翻と言う逆の扱いが一般的でした。今でも使われているメンチンとかタテホンと言う言葉は、本来は門前につき一翻増しと言う意味で使われたものです。
と言う事から、七対子に伴う清一色や混一色は門前でない場合の翻数を適用すると言う所が幾つかあったようです。
そのような団体の場合、字牌七対子は対々和型の字一色より難易度が高いにも係わらず、対々和型の字一色より安い点数として扱っておりました。
- 例えば、対々和型の字一色を四倍満貫とする一方で、字牌七対子は倍満と言う扱いにしておりました。
勿論今では、清一色や混一色の扱いも、字牌七対子の扱いも、門子型と全く同じ扱いと言うのが当たり前になっております。
制作者の個人的な見解。
七対子は、どうしてもかつての扱いに沿った方法だと何処かで矛盾が生じますので、いっその事阪神地区のローカルルールのように三十符両翻とした方が良いのではないかと思っております。